パリに生まれたが少年時代をノルマンディのル・アーヴルで過ごし、ブーダンの弟子となり、海景を主ととする自然描写に熱中した。パリに出、ピサロ、ルノアール、シスレーら後年印象派を代表する画家と交わり、またコローやクルーベの感化をうけ、さらに強くマネに傾倒した。
1890年、モネはシヴェルニィの邸の庭に池を掘り、エプト川の支流から水をひき、周囲に竹やしだれ柳を植え、庭には様々な種類の睡蓮を浮かべた。彼は、地平線をとり去り、ただ裏返された水の反映の世界の中だけで、彼が見、憧れ、迷い、望んだ一切のものを構築しようとした。1911年にはすでに白内障におかされていたにもかかわらず、彼はクレマンソーの励ましによって横長の睡蓮の連作を描き続けた。これこそ蓮の花の開く音をも目に見える彼の視覚が白日に幻ずる花々の水族館である。